<寄稿>70周年を迎えて

前歯と引き換えに保育園を守ったあの人から

70周年おめでとうございます。現在の鳩の森保育園園舎建設施工に工事所長として当たりました西田でございます。

地鎮祭後に妨害が始まり、隣接するボクシングジムに、私たちは目の仇にされました。当然ですが、保育園は妨害禁止の訴訟を始めました。彼らは保育園建設の敷地にすぐ侵入してきました。抗議する弁護士さんも襟首をつかまれ、引きずり回されました。

敷地周辺は狭く、工事資材、掘削重機ユンボ、職人たちの搬入路は山手線側の狭い私道しかなく、彼らは夜間、コンクリート塊や掘削重機ユンボなどの障害物を放置しましたので、夜間の不寝番を園児父兄たちと当社とでペアを立て、私の自家用車を持ち込み監視に当たりました。

ある日の深夜のこと、案の定、柔道、空手、ボクシング4回戦ボーイ2名の計5名が、不寝番の私たちを襲撃しました。3時間に及ぶリンチが行われ、途中、父兄が脱出し、警察が来ました。私の顔はボコボコに腫れ上がり、歯を折られました。その乱闘で、4回戦ボーイは、私に大腿部を蹴られけがをしたとして、私は訴えられました。

原宿警察が駆けつけ、私は彼ら暴漢たちと連行され、取り調べを受け、一晩留置されました。翌日、警察署前では「西田さんを釈放しろ!」の抗議集会が開かれ、ようやく私は釈放されました。私の自家用車は、彼らがボンネットの上で跳びはねたので、破損しました。

このような緊張状態は和解成立まで続きました。そして園の妨害禁止訴訟も、私が訴えられた訴訟も、「和解」が成立するまで続きました。和解条件の一つは、私を現場監督から外し、交代させることでした。和解成立後、やっと工事が再開され、大幅に遅れ、その後竣工に至りました。これが私が携わった工事妨害との攻防戦の概要です。私の部下として配置されたK君は、怖かっただろうに、胆力が坐っていて、最後までついてきてくれました。

鳩の森保育園は地域に根ざした働く人々の貴重な保育園です。その建設に携われたことは私の誇りです。当時ご支援くださった方々に、改めてお礼申し上げます。

(元片山組工事所長 西田 修一氏より)