『鳩の森保育園』誕生時の間借り園舎 (1951年~)
木造の印刷工場の社屋の一部をお借りして、鳩の森保育園は活動を開始しました。戦争が終わって5年。現実の必要から青空保育がポツポツと各地で始まっていた頃のことです。雨風をしのげるこんな立派な園舎が得られたなんて、保育者はもちろんのこと、子どもたちも親たちも、さぞやうれしかったでしょうね。
印刷工場ビルの2階に保育園が。(1963年~)
戦後復興期を経て、日本は高度経済成長期に入りました。印刷会社である大家さんは大きな工場が必要になり、5階建ての社屋ビルを建てました。間借り人である鳩の森保育園は、そのままビルの2階の間借り人に‥‥。認可保育園ですから、保育室も給食室も、認可基準に適合するように保育園の希望に添ってつくってくださったそうです。 印刷会社ですから、明治通りに面した表玄関は、大きな紙ロールが運び込まれる入り口。鳩の森保育園の入り口は、ビルの横から2階に入る階段があって、それが専用口。トコトコトコトコ、カンカンカンカン。登園時の朝は、階段がさぞやにぎやかだったことでしょうね。
総武線脇の仮園舎でしばし楽しむ。(1982年)
独立新園舎を建てることになり、それまでのしばしの仮住まいがここ。総武線の線路土手に添って、ほそなが~い園舎です。いかにも仮園舎ですね。でも楽しそう。毎日、上を見上げると電車が走っているんですよ。そして踏切もすぐそば。カン、カン、カン、カン‥‥。こちらは、大きな車輪、大きな胴体の電車が、子どもたちの目の前を風を切って走りますから、それはそれは迫力満点。
『鳩の森保育園』の独立園舎ができた。(1982年~)
園舎建設への思わぬ妨害があり、一方に保護者や保育者たちの新しい園舎への熱い思いがあり、その攻防の激しいドラマを経て、ついに実現した鳩の森保育園の新園舎です。当時の父母にとっては感慨ひとしおだったことでしょう。窓の向こうを電車が走ります。そして、電車が走る線路の向こうには、神宮の大きな大きな森がこんもりと緑の姿を見せています。 新園舎竣工に合わせ、鳩の森保育園は社会福祉法人立となりました。ここから鳩の森保育園のもうひとつの歴史が始まりました。
民営化により『等々力保育園』が法人の園に。(2008年~)
世田谷区の公立園であった等々力保育園が民営化となり、2008年4月から代々木鳩の会が運営することになりました。というわけで、代々木鳩の会が運営する保育園は2つになりました。等々力保育園は1975年に建設された園です。33年の子どもたちの歴史を紡いできた鉄筋コンクリート2階建ての園舎と広い園庭は、世田谷区からそっくりそのままの形で引き継きました。そんなわけで、世田谷にある他の公立保育園とそっくりです。プールもあり、ゆったり広々。100人の子どもたちが、大縄跳びも鬼ごっこものびのびできるうれしい広さです。
等々力保育園の近くに『分園このは』ができた。(2010年~)
等々力保育園から6~7分、九品仏からも自由が丘からも10分ほどの位置に、等々力保育園の分園としてこのはが誕生しました。世田谷区には待機児が多かったため、このはもそうした社会状況の中で、区立八幡中学校の敷地を区切って建設されたものです。代々木鳩の会の3つ目の施設であるこのはは、木造2階建て。木の香がかおる、おだやかでアットホームな園です。小規模だからこそ細やかな保育ができる。保育士と子どもたちが一体になって保育を創っていける。そんな環境です。 2019年に改修しました。1歳児室をちょっと広くしました。0歳児の部屋には和室のような大人にも子どもにも心地よい畳のスペースをつくりました。階段の位置を変え、子どもたちの行動が一層豊かになる工夫をしました。細長い園舎は、船のよう。このは号かな? 面白い工夫があちこちにあります。
丘の上に『岡本こもれび保育園』が建つ。(2014年~)
世田谷区の待機児解消の方針に応え、代々木鳩の会は世田谷区の岡本に100人規模の保育園を開設しました。岡本こもれび保育園、4つ目の園です。 小高い丘、閑静な住宅が建ち並ぶそのなかに岡本こもれび保育園はあります。砧公園が近く、毎日、子どもたちは緑の中の散歩を楽しむことができます。 岡本こもれび保育園にはランチルームがあり、3歳以上児がここで食事をします。おや、いい匂い。「ボク知ってるよ。今日はカレーだよ」「そう。あたり」。子どもたちと保育士のそんな会話がにぎやかに聞こえてきます。