第 二 話

渋谷区の認可私立園、第1号となる

誕生したばかりの保育園に子どもたちがやってきます。保育料は1日10円。毎日持ってきます。お昼は各自がお弁当持参なので、10円はおやつ代と保育材料費です。スタート時点で保育者は井上を含めて4人。婦人民主クラブの人たちも手伝ってくれましたが、10円の保育料から保育者の給料などとてもとても捻出できません。

保母は魔法使い。1台のオルガンで子どもたちと素敵な時間をつくります。

子どもたちが持ってくるお弁当はというと、これがまた井上の心を痛めるものでした。おかずが入っているものはごくまれです。麦が7分を占めているご飯の真ん中に梅干しがちょこんとひとつ。そんなお弁当がほとんどです。せめて温かいみそ汁を‥‥と、みそ汁給食を出すことにしたそうです。こうして子どもたち・親たちへの「思い」をもって歩みだした保育園ですが、「思い」だけでは前に進めません。

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鳩の森保育園が産声を上げて1か月ほどたった1951年5月5日の子どもの日。この日、「児童憲章」が制定されました。憲章は、前文、総則、12の条文から成っていますが、その総則には「児童は、人として尊ばれる」「児童は社会の一員として重んぜられる」「児童はよい環境の中で育てられる」の3つが謳われています。

そして第1条には、「すべての児童は、心身ともに健やかに生まれ、育てられ、その生活を保障される」と述べられています。戦後の1946年に誕生した日本国憲法の精神が、総則にも条文にもしっかり位置づいています。子どもが「人」として尊重されること、そしてそれを実現する上での大人の役割も謳っています。

地域の人たちが保育園を大事に思ってくださっていたことが分かりますね。

現実の子どもたちの姿はここに謳われているものとは程遠いものでしたが、「子どもの幸せな明日を実現しよう。それこそが平和な社会の実現に通じる道」と、戦争の経験をしてきたこの時代の人々の、溢れるようなそんな思いが、この児童憲章を作り上げたのでしょう。

こうした時代の風もまた、井上や仲間たちの背中を押してくれたのでしょう。「そうだ。認可を取ろう」。井上たちはさらにもう一歩を踏み出すことにしました。井上とその仲間たちはさっそく奔走し、子どもの数に見合った面積や設備や保母数など、認可条件を整え、申請し、この年の12月には早くも東京都の認可を得ました(定員35名)。この行動力とスピード、驚くばかりです。

今日はひな祭り。子どもたちがつくったかわいいお雛様の前で。

認可を取ろうと井上が動き始めると、保育園に来ている子どもの親たちも応援活動を始めました。それも認可園になったら措置対象にならない人たちも一緒になって‥‥。認可条件を整備するためにはお金が必要。それなら資金づくりバザーをと、親たちも保育者たちも、地域の人たちまでも、一緒に取り組んでくれたということです。まさしく、子どもたちへの思いや明日への思いをつなぎ合い、力を寄せ合って実現した認可化だったようです。

アルマイトの食器が当時を物語っている食事風景です。

児童憲章に先立って1947年には児童福祉法ができました。これも日本国憲法の子ども版とでもいうもの。児童福祉法によって「保育園はどの子も健やかに育つための施設」として位置づけられるようになりました。国や自治体が責任をもち、保育者たちが現場で子どもたちの育ちを支える。そんな認可保育園として、鳩の森保育園はさらに新たな一歩をふみだしたのです。

遠足にも行きました。お母さんもちょっとおしゃれして、今日は親子一緒。

このころ渋谷区には、1949年に開設された都立(公立)の保育園(現在は区立となっている)がふたつありましたが、私立園はまだなく、認可を得たのは鳩の森保育園が第1号です。こうして鳩の森保育園は、翌1952年の3月には、認可私立保育園として、最初の卒園児12名を送り出しました。