第 五 話

私たちの独立園舎ができた

間借りで始まった鳩の森保育園の歴史も、30年になろうという頃、それまで社屋の一部を提供してくれていた印刷会社では、さらに大きな社屋ビルを建てる計画が進んでいました。印刷会社もこの30年の間に事業を拡大し、さらに大きなスペースが必要になっていたのです。

最初の園舎と創立当時の子どもたち。

「さあ、どうしましょう」というところですが、ありがたいことに、印刷会社が近くに所有する土地を園に貸してくれるというのです。かくして鳩の森保育園は、初めて独立した園舎をもつことになりました。

私たちの園舎ができる。思いがけない展開に、職員も保護者もみんなワクワク気分です。建設資金はどうやってつくるのか、どのような園舎にするのか‥‥。職員も保護者もひとつになって園舎建設に向かって邁進していました。

自分たちの園舎ができるのももうすぐ。それまでの仮園舎住まい。(1982年)

ところが思いがけない事態が待っていたのです。園舎建設地前の路地を隔てた向かい側に建つボクシングジムが保育園の建設に反対し、建設地の工事の妨害をするのです。整地工事中も寝ずの番で建設地を見守らないと、何が起こるかわからない。と、そんな事態になったのです。施工会社の人だけでなく、お父さんたちも職員たちも、自分たちの園舎づくりを不当な妨害から守らねばと、夜も交代で工事現場の見張り番をしていたのだそうです。

園舎建設を守るために、親たちもみんなで集まって・・・。

ある日のこと、この夜も施工会社の現場監督さんと何人かが建設地前の路地に車を止め、夜中に工事現場への悪さをされないよう、見張り番をしていました。現場監督さんはトイレに行きたくなりました。そこで、路地の先にある公衆トイレに行こうと車を出ました。その途端、ボクシングジムの屈強な男たちに囲まれ、現場監督さんはボカボカに殴られてしまいました。気配に気づいて車の中の人たちが急いで外に出て助け出そうとしますが、相手はプロです。かなうわけがありません。もちろん、この時代、携帯電話などありません。必死で警察に駆け込み、訴え、ようやく救出となりました。

しかし、ボクシングジムの男たちが、これは「喧嘩だ」と主張したため、現場監督さんは気の毒なことに殴った男たちと共に警察に留置されてしまいました。この時、子どものお父さんやお母さんたちが次々集まってきて、「それは違う」と事実を警察に訴えたことで、無事、釈放になったのだそうです。もっとも正確に言えば無事ではなく、現場監督さんは大事な前歯を1本失ったそうで、いやはや大変だったようです。

こんな大事件も経て、ボクシングジムとは協議を重ね、やがて和解に至り、親たち、職員たちの思いを形にした新園舎ができました。今、そのボクシングジムはありません。それからほどなくしてお引越しとなり、路地奥の保育園は平和で穏やかです。地域の方々とも仲良し。毎年節分の日には、地域のおそば屋さんも、宝くじ屋さんも、弁護士事務所も‥‥、街をパレードするかわいい鬼たちのために、豆まきをするのを楽しみにしてくださっています。

波乱を経て、1982年11月1日、鉄骨3階建ての新園舎が竣工しました。そして、この機に鳩の森保育園は法人化を果たしました。社会福祉法人代々木鳩の会の鳩の森保育園となったのです。鳩の森保育園の新時代の幕開けです。

波乱の日々を経て、晴れて竣工、鳩の森の新園舎。

さて、新園舎が立つその場所は、今度は山手線の土手沿いです。子どもたちが生活するその部屋の前を電車が走ります。また、子どもたちの大好きな電車のおまけつきです。うれしくて、おかしくて、笑ってしまいますね。鳩の森保育園は、いつも、子どもたちが大好きな「電車が見える保育園」なのです。

部屋からも、屋上からも電車が見える、うれしい新園舎。